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6月, 2017の投稿を表示しています

本当に愛し合うこととは何のか?

「四月になれば彼女は」 あらすじ 4月、はじめて付き合った彼女から手紙が届いた。そのとき僕は結婚を決めていた。愛しているのかわからない人はとー。  天空の鏡・ウユニ塩湖で書かれたそれには、恋の瑞々しいはじまりとともに、二人が付き合っていた頃の記録が綴られていた。  ある事件をきっかけに別れてしまった彼女は、なぜ今になって手紙を書いてきたのか。時を同じくして、1年後に結婚をひかえている婚約者、彼女の妹、職場の同僚の恋模様にも、劇的な変化がおとずれる。愛している、愛されている。そのことを確認したいと切実に願う。けれどなぜ、恋も愛も、やがては過ぎ去っていってしまうのかー。  失った恋に翻弄される、12ヶ月がはじまる。

コーヒーの味はいかがでしょうか

「コーヒーと恋愛」と呼んで 私はこの本に出会い、恋愛とコーヒーが異常に絡み合う作品で驚いた。毎回のように出てくる珈琲の文字は圧倒的だった。  この作品は題名通りに珈琲が主役と言ってもいいくらい、珈琲が関わってくる。登場人物は坂井モエ子、お茶の間で人気の女優でコーヒーの淹れ方がうまい。塔之本勉、8つ下のモエ子の夫で舞台装置家として新劇で働く。丹野アンナ、売り出し中の若手女優で芝居を通し、勉をモエ子から奪う。菅貫一、可否会会長の資産家でモエ子の相談相手。この人物たちが主に、作品に大いに関わってくる。  まず、勉について。モエ子は勉のことを夢を追いかける努力家のような人間と言っているが、はっきり言ってヒモでだらしない奴だと思った。モエ子に稼いで貰っているお金で生活できているのに、新劇ばかりに熱を注ぎ、まともにお金が入らない。彼はモエ子に甘えていたのだと思う。挙句の果てには、アンナと共に生活すると言って、家を出るという不倫。モエ子の精神が悪くなるのも頷けた。  次にアンナ。彼女は図々しく、そして男に惚れやすい女だった。彼女も言動には意味がある。とにかく売れたいのだ。その為には、何でもやるような女のように映った。  最後に菅。彼は可否会の会長でメンバーであるモエ子の8つ上である。彼はモエ子が不倫された時、再婚相手として縁談が来たのだが、彼はモエ子の淹れたコーヒーの味に興味があったのだ。その為、モエ子には自分自身を見てもらえないと見透かされてしまう。彼はコーヒーに憑りつかれた亡者だった。  こんな感じで作品に出てくる登場人物たちは癖がある。特に、モエ子は皆から女としてではなく、コーヒーを淹れるのが得意な女優として扱われることが多く、特殊な人物だと思った。深い泥沼ような恋愛関係と、そこに加わるコーヒー。コーヒーの苦い味わいのような恋愛模様が面白い作品だった。 *コーヒーと恋愛 獅子文禄 ちくま文庫*

詩の代表者

「きょうの私にさよならしましょ。」を読んで 金子みすゞと言えば、誰でも一度は聞いたことのある詩人だろう。この本は金子みすゞの詩を集めた本である。  金子みすゞは26歳という若さでこの世を去っている。彼女はそんな若さで、日本に残り続ける詩を書いたと知った時は驚いた。改めて、金子みすゞの詩を読んでみたいという思いで、取ったのがこの本である。  本書で心に残っている詩は、やはり有名な「私と小鳥と鈴」だろう。小さい頃読んだが、今でもよく覚えている。改めて読んでみても、良い詩だなと思った。「鈴と、小鳥と、それから私、」というフレーズが得に良い。自分中心になりがちな詩を、他を優先して私ときている。金子みすゞの他人を思う気持ちがよく出ていて素敵だ。他には「おさかな」という詩も気になった。魚だけは人間の世話にならず、食べられてしまい可哀そうだという詩だ。今では、養殖業なども盛んになり、魚を育てることも多くなったが、やはり魚といったら釣りだろう。金子みすゞは、そんな魚たちが何にもしていないのに人間に釣られ、食べられるのが不思議だったのだろう。魚の気持ちにもなれる金子みすゞだったのかと思った。  詩という短い文章に気持ちや伝えたいことを詰め込むのは難しいと思う。しかし、金子みすゞはそんな綺麗な詩をいくつも作っていた。普段は気づかない視点からの思いを綴った詩、動植物たちからの目線、季節、天候、いろんな詩があり、どの詩もスッと心に入ってくる。金子みすゞの考えが広がれば、誰もが素敵な思想を持つことが出来ると思う。亡くなっても、語り継がれていく金子みすゞの詩。彼女の詩には、人の心を掴む言葉が詰め込まれていた。 *きょうの私にさよならしましょ。 金子みすゞ 小学館*

自らの誇り

「満願」を読んで 藤井は、お世話になっていた鵜川家のことを思い出していた。鵜川妙子藤井の第二の母といって良いほど、面倒を見てくれていた。しかし、鵜川妙子は殺人を犯してしまった。  裁判というものは、嘘か本当か分からないこともある。被告人がどういった思いで、事件を起こしたなんて本人以外分かりやしない。妙子も結局、藤井に直接、真相を話さなかった。彼女は立派だったのだ。誰にも真相は言わず、先祖を誇り、自らも先祖を模倣し誇ったのだ。何を誇りに思い、何を信仰するのなんて人それぞれだろう。人は誇りが無ければ、上手く生きていけないのかも知れない。殺人を犯してでも、守りたかった誇りがあった彼女に強い意志を感じた作品だった。 *満願 米沢穂信 新潮社*

守る決意

「関守」を読んで     おばあさんの孫を守ろうとする決意は強かった     ライターである彼は桂谷峠の記事を書こうと調査に行った。途中ドライブインがあり、立ち寄るとおばあさんがいた。おばあさんは峠での事件を知っているようで、聞き込みを始めた。しかし、それが悪かった。おばあさんは初めの事件の真相を隠す為、事件に関わる者たちを葬っていたのだ。彼も後に殺されてしまうだろう。     おばあさんは事件の真相を隠しながら、ライターである彼を騙していた。彼の質問に答えながらも、彼から記事の材料に使われながら、油断をさせた。眠らせる直前、おばあさんは冥土の土産のように彼に真相を話していた。私は思った。彼女こそ都市伝説級の化け物だと。 *満願 米沢穂信 新潮社*

表沙汰にされた罪

「万灯」を読んで 外国での交渉というのは、日本と全く違って大変なのだろう。それでも何とか、お金があれば解決してしまうことも多い。しかし、一番厄介なのは、お金はいらないという者たちなのかもしれない。地元を愛し、豊かにしたいという気持ちが強く、他人に荒らされたくない。これは、開拓したい企業としては痛手である。  井桁商事の伊丹はパングラデシュの天然ガスを手に入れる為、天然ガスのパイプラインの途中にあるボイシャク村に交渉に行くがなかなか上手くいかない。そんな中、村から呼び出しがあり行くと、他会社であるOGOの森下もいた。二人は開拓を拒むアラムから、パングラデシュの未来の為、天然ガスは渡さないと言われた。しかし、アラムに反対の村人たちもいた。伊丹らはアラム反対者と共にアラム殺害へと踏み出す。アラム殺害後、事業は上手くいったと思ったが、森下は仕事を辞めていた。伊丹は森下殺害へ思い至った。森下が白状する前に。  この作品では、会社の事業の為にいろいろな人が怪我をしたり、亡くなったりする。これから得られる教訓は、やりすぎたことには報いがある。きっと伊丹は事業の為といい、人間的感情を捨て、殺害を犯した。結局事態は、ばれてしまう。森下の持ち込んだコレラにより、捜索されてしまうのだ。ばれない隠し事なんてないのかもしれない。 *満願 米沢穂信 新潮社*

柘榴の赤い目

「柘榴」を読んで 女の男を手に入れようとする欲望は怖いのだ。何としても手に入れたいという気持ちが膨れ上がる。  父は元々ダメな人間で生活力が無かった為、姉である夕子は離婚する際に親権が父にいくように企てた。それは、夕子自身と、妹の月子の体に真鍮製の靴ベラで傷をつけることだった。そうすれば、母が子を虐待していると思わせられるとしたのだ。案の定、親権は父に渡るのだが、どうしてそこまでして父に肩入れしたのだろうか。  夕子は、実の父に恋に近い感情を抱えていたのではないだろうか。柘榴のエピソードからそのような感じが見受けられる。もう一つに月子に嫉妬していたという感じも見られる。月子は自分よりも美しくなる素質があると言っている。そこで、月子にも虐待に見せかける為、夕子自ら月子に傷をつけている。虐待に見せかけるにしても、妹にも傷を作らすなんて、これには夕子の嫉妬心が含まれていたに違いないと思う。  この話には柘榴が出てきて、それが夕子と父の間の距離を近付ける。夕子は父に与えられた柘榴を口にして、父から離れられなくなったのだ。まさしく禁断の果実を食したように。柘榴の実の中の沢山の小さい果実を食べると甘酸っぱいように、夕子も父の甘い誘惑に落ちていったのかもしれない。 *満願 米沢穂信 新潮社*

接待の限度

「饗応夫人」を読んで     人に親切といってもほどがある。親切にされた方も、された方で付け上がる。この作品は人の醜さに泣いてしまった。人の親切には限度があり、行き過ぎるとそれは、主人と召使いの関係になってしまうのではないか。読んでいくに連れ、どんどん胸がムカムカする 話だった。 *女生徒 太宰治 角川文庫*

疎開中の別れ

「おさん」を読んで     男と言う生き物は、難しいものだ。夫は疎開中に女を連れ込んでいて、妻が帰ってくきたら、よそよそしくなっていた。男のプライドというものは辛いものだ。それでも、今の家族と離れるわけにはいかない、などと考えてしまうわけだ。この話はどうも最後の死が太宰治の最後と似ていて、現実感があった。  *女生徒 太宰治 角川文庫*

使われ続けて

「貨幣」を読んで 今回の話は視点が貨幣からだった。貨幣が感情を持ち、語りだす。戦争時の貨幣は次々と新しいものが出来、そんな中で百円紙幣は自身が使われ、辿って来た道を思い出話として話す。  貨幣はお金としてみると価値があるが、物の素材としてみると物足りない。実際、物語でもボロボロになっている。しかし、貨幣はボロボロになるほど、いろいろな人に使われてきたということだ。それは、この貨幣はこんなにも使われてきたんだという価値になるのではないだろうか。  *女生徒 太宰治 角川文庫*

目に焼きつけて

「雪の夜の話」を読んで  子供頃は、純粋な気持ちでいっぱいだった。どんなに現実的でもなくても、綺麗な話が信じてられた。しゅん子は、純粋な気持ちなでお姉さんに、自分の見た雪景色を目に焼きつけて、見せようとした。私の目を見て、私の見た雪景色を見てと。子供の思う純粋の気持ちが綺麗な話だった。  *女生徒 太宰治 角川文庫*

ほんの日常の日記

「一二月八日」を読んで 日記というものはいいものだ。その当時のことが鮮明に思い出される。  当時の戦争の日常生活が描かれている。戦争が激化する前、どんな思いで生活いたのだろうか。 *女生徒 太宰治 角川文庫*

どれだけ待っても、

「待つ」     誰を待っているのと言ったら、誰も待ってないと言う。ただ、ベンチに座っているだけ。彼女は何を思って座っているのか。それは、冷たくなった心を暖かくしてくれるものを求めてるのだろう。短かすぎる文章には冷たい雰囲気と、これから来るとも分からないが、暖かい風の予兆が詰め込まれていた。 *女生徒 太宰治 角川文庫*

恥とは気づかない

「恥」を読んで 小説家は自分の体験談を元に書くのが得意な人もいるが、大体の小説家は想像して書く。彼女は小説家の戸田さんに、批判の手紙を書いて送った。内容はこんなひどい小説を書く貴方は、貴方自身もひどい方なのだろうという。しかし、実際に戸田さんの家に行ってみると小説の内容と全く違う。綺麗な家に、綺麗な服装。小説家は嘘つきなのだ。全てはフィクション。だけれども、面白ければその本は本物となる。 *女生徒 太宰治 角川文庫*

純粋な気持ちこそ才能

「千代女」を読んで 才能があると言われ、無理やりやれされるものほど嫌なものはない。彼女の叔父は才能があると言い彼女の作文を応募し、そして賞をもらった。彼女は賞をもらって、変わっていく周りの環境が嫌なのだ。なるべく、文学に近づかないようにした。しかし、いざ大人になっていき残ったものは文学だった。結局、幼少期の強い思い出が繋がっていく、それがたとえ嫌な思い出でも。大人になると考えも変わるのだ。幼少の純粋な気持ちはなくなってしまうのかも知れない。たとえそうだとしても、人は成長しなくてはならないといけないのである。 *女生徒 太宰治 角川文庫*

人の変わりようの見るほど怖いものはない

「きりぎりす」     夫への妻からの手紙の形で綴られた物語だった。夫は売れない画家だったが、売れるようになってから人が変わったようになってしまった。人付き合いが多くなると、それだけ口が達者になり、悪口も増える。収入が増えれば、お金にうるさくなる。名声を得れば、昔の恩人への気持ちも薄れることだってあるだろう。そんな俗人にはなって欲しくなかった、綺麗ていて欲しかった妻。お金は人を狂わせる。お金があれば幸せな人もいるが、きっと人間関係はギスギスすることもあるのだろう。これでは貧乏の方が助け合いなどで勝る。どちらが、幸せなのか分からないが、これだけは言える。お金は怖いと。 *女生徒 太宰治 角川文庫*

届かなかった恋

「誰も知らぬ」     恋は人を動かす。安井は芹川の恋話を聞き、美しく、羨ましく感じた。芹川の現実的でない恋が安井の心を揺さぶったのだ。そんな時、向かいに住んでいる芹川の兄が訪ねてきて、芹川が消えたことを告げる。きっと男の元へ行ったのだろうと思うが、芹川の兄は連れ戻そうと行ってしまう。安井はこのまま自分も兄について行ってしまいたいと思う。いつの間にか、自分も恋をしていたと気づくのである。恋は人を動かす。しかし、その恋は届かないこともあるのである。誰にも伝わらなかった恋は何処行くのだろうか。きっと、良い思い出として消えて行くのだろう。   *女生徒 太宰治 角川文庫*

常識を知りすぎた者

「死人宿」を読んで     常識に考えて、という言葉に甘んじていると常識でないことに疎くなるものである。常識とは何なのか?実は、常識を使い本音から逃げている節があるので無いのか?もっと素直に生きたい。常識は時に重要だが、常識に囚われていてはいけないともいう。このように、常識とは矛盾が起きることさえあるのだから、言葉というものは怖いのである。     男は今回、常識的意識を捨て、素直に遺書の意味を考えようと努めた。それにより、答えは出た。常識は人を固くする。常に博識を信じるだけでなく、自分の意識をも考え、行動できるよう努めたい。 *満願 米沢穂信 新潮社*

綺麗に見てもらいたい

「皮膚と心」を読んで      女は化粧をし、常に綺麗に見てもらいものだ。吹き出物なんて最悪なのである。      皮膚病は人を暗くする。人前に出たくなる。周りの視線が怖い。彼女がそれで困っているなら、男はもっと気を使おう。優しくしよう。女は綺麗に見てもらいたいのだから、せめて貴方だけには綺麗と言ってもらいたいのだ。 *女生徒 太宰治 角川文庫*

自分宛ての手紙

「葉桜と魔笛」を読んで     兄弟、姉妹愛というのは美しいものだ。余命を宣告されたとしても、死ぬ時は、綺麗に美しく逝ってもらいたい。     妹は男からの手紙と見せかけて、自分宛ての手紙を書いていた。これは男への憧れ、結婚の願望があったのだろう。しかし、妹には命がもう無い。そんな、妹に対する姉の行動は美しかった。やはり、家族は良いものだなと思った。     妹を蝕んだ結核は今では、不治の病では無い。時代と共に消えていったのだ。しかし、兄弟、姉妹愛はというものはいつの時代になっても、消えていって欲しく無いものだ。 *女生徒 太宰治 角川文庫*

厭だ

「女生徒」を読んで      内心で思っていることを表に出さないように振る舞い、人と付き合っていくことは時に辛く、疲れるものである。少女も思春期の中の一人。頭を悩ませ、思いを巡らすのである。  「女生徒」の中の少女はどこか、憎むような感情が多く出てくる。表面は美しくいようとしているも、実はあまり良く思っていない。これは、誰にでもあることで愛想はよくしておこうというところだろう。しかし、そんな彼女の思いは繊細で共感できるからこそ物語となっている。   *女生徒 太宰治 角川文庫*

しあわせの価値観

「燈籠」を読んで  突発的な衝動というものは人を狂わせ、後に後悔することすらある。さき子も男子学生にどうか笑顔になってほしいという思いだったのだろう。さき子がおまわりさんに言った貧乏な人ほど牢に入れられてしまう。彼らは人をだましていい生活をするほど、悪がしこくないから、と。これはきっと、的を射た考えだったと思う。しかし、貧乏だからって不幸だということはない。さき子は最後、電球を変えることくらいが私たちのしあわせだと言っているが、そんなしあわせも実は儚く、美しいしあわせの一つだと気づくのだ。これは、しあわせの捉え方はいろいろあるが、どんなに小さなしあわせでも人は心が癒させるのだと思わせてくれた。 *女生徒 太宰治 角川文庫*

小心者の警察官

「夜警」を読んで   世の中、警察という職業は危険な仕事として見られることもある。川藤広志巡査は勇敢にも拳銃で刃をもつ犯人と戦い、殉職した。しかし、その死の裏には秘密があった。川藤が勤務中に暴発した拳銃のことを隠すための仕業だった。なぜ、隠そうとしたのか。それは、川藤小心者だったからだ。小心者は臆病な生き物で、リスクを背負うことが出来ない。川藤も実際、何か問題を起こしてしまったら兄に助けを求めていた。結局のところ小心者は他人に依存しているとも言えるだろう。  「夜警」では、語り手が上司にあたる柳岡の回想が主に中心に進められた。部下の対する思い、この時どう思っていたなど、感情を露わにして描かれていた。読み進めていくうちに段々と部下たちの性格が知れてきて、感情移入しやすかった。最後の柳岡が自分の頭の中で何故、今回の事件が起きてしまったのか静かに解決してしまうあたり、綺麗な終わり方だった。   *満願 米沢穂信 新潮社*  

祖母の優しさを思い出す

「西の魔女が死んだ」を読んで  祖母の温かみはいいものだなと思わせてくれる話だった。今では、少なくなった外国人に対する偏見だが、昔はもっと偏見が強かったのだろう。魔女と孫に名乗る祖母は、とても穏やかで優しいどこにでもいそうなおばあちゃんだった。そんな祖母と過ごした日々を孫である‘まい’の回想はとても美しく、面白かった。祖母の家で見た景色や色が得に美しいものであり、ハーブティーをくるくると透明な琥珀色の玉と表現したり、綺麗な世界だった。  本の題名にもある「死」という字はこの話のキーワードでもあった。‘まい’は祖母に「死」について質問する。そこで祖母は「死」について人には魂があると語っていた。死ぬということは身体に縛られていた魂が、身体から離れて自由になることだと。この語りは重いと思っている「死」の概念を軽くする言葉だった。この作品では、「死」は怖いものではなく、美しいものに描かれている。悲しい、苦しいと思われがちな言葉を話の通して、美しいものに変えている凄い作品だと思った。  祖母は‘まい’にとって大切な人物だった。しかし、そんな祖母が他界してしまう。‘まい’には悲しみもあるだろうが、祖母の「死」はそれでも祖母の教えにより、ただ悲しいだけではないものとして描かれた。こんな綺麗な作品はなかなかないだろう。    

将来の話をしよう

「いまさら翼といわれても」を読んで   今回は6篇に渡る、短編集だった。奉太郎の「やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことなら手短に」と言うようになった過去の話「長い休日」は特に印象に残った。確かに、素直な何でも言えばやってくれるという子は先生にとって都合がよく扱いやすい。しかし、当の本人はどう思うだろう。便利に使われていたなんてわかった途端、先生への信頼なんて全て失うだろう。奉太郎の過去の話は現実世界でもよくあることだ。人にはどこかしら、楽したい、面倒だという感情が出てくるものだ。今回、「長い休日」を読んで改めて、人の愚かさを思い知った。奉太郎の過去が明らかになり、彼の見方が変わった物語だった。  また、他には千反田が行方をくらます本のタイトルにもなっている「いまさら翼といわれても」も良かった。千反田は豪農千反田家の跡取りを意識して生活してきた。しかし、急に跡を継がなくてもいい、好きな道を選べと言われた。そんな時、合唱祭のソロパートの歌詞が自由の憧れを歌うものだった為、合唱祭から行方をくらましたのだった。千反田の悩みは進路だった。誰もが通る道。千反田の言う「いまさら翼といわれても、困るんです」は胸に響いた。おそらくこの翼にはいろいろな思いが詰め込まれているのだと思う。自由、将来、解放、など。千反田にはいままで翼がなかったにだから、困惑してもしようがない。しかし、これからは翼を持った千反田がどう変わっていくのか見てみたいと思った。

閉鎖空間での人の行動って怖いよね

「インシテミル」を読んで インシテミルを読む前、題名から何も内容が想像出来なかった。ただ、作者が米沢穂信さんと言うことで好奇心と期待を込めて読んでみた。 今回の米沢さんの作品は、人が殺されていく本格ミステリだった。舞台は、地下空間(暗鬼館)であった。太陽もない空間での生活は心を不安にさせる。そして、読者にも地下空間という舞台は緊張感を与えてくれた。特に地下空間の構造を想像させてくれる文章が多く、先の見えない廊下など、人の心理を織り交ぜて説明されていて緊迫感が伝わってきた。  まず始めに殺された西野だが、9ミリのセミオートの銃で殺された。初めは銃の種類が問題になるのかとおもっていたが、終盤になってこの意味がよく分かった。違う系統の銃が出てきたのだ。しかし、一般人ならどちらも同じ銃だろという概念を持ってきて、作中の人物たちが困惑している様子が描かれ、おもしろいと思った。作者はきちんと状況下での心理状態も含めて、このミステリを書いていると思った。初めは西野を殺したのは須和名だと思っていた。お嬢様を装い、お金欲しさに実は殺したのではと思ったのだ。しかし、予想は外れた。西野は自殺したのだった。理由は明確にはされていないが、彼の自殺は作品の場を動かしたキーストーンだっただろう。  ところで、上で疑ったように須和名も重要人物のように頻繁に描かれる。何かあるだろうと、期待していたが最後の最後に須和名から結城(主人公)への手紙で明かされた。それは、次の実験への誘いだった。インシテミルはこの手紙の内容が書かれ終わりとなりが、この手紙について少し考えてみた。手紙には、須和名家でも、実験をすることになったという。これは、どういうことか。須和名家はこの実験の関係グループに入っているとみていいだろう。しかし、気になることがある。それは、なぜ須和名自身がこの実験に参加したのかということだ。須和名は自身の身を危険に曝しながらも参加した。作中で観察者だったんだろうと言われるが否定している。これを信じるとすると、須和名は実験の関係グループだとしても実験の主催者とは仲が良くないことのなる。つまり、須和名はスパイだったのでは?実験の内容を把握し、次の須和名家が開催する実験の糧とし、そして須和名の名をあげ投資資金を集める。最大の悪は須和名だったのかも知れない。