巡り行く春 (1)

「春」

春一番の風を感じたとき、私はまだ裸であった。寒さがまだ残る中、そよぐ風が心地よい。眼下では腰の背丈ほどの赤髪の少年が髪を靡かせ、夢心地でいる。額には大きな絆創膏を貼っている。

小さな丘陵地となっているここには、私だけがひょっこりと頭を出して伸びている。周りには何もなく、ただ短い草花が広く茂っているのみである。

離れには小さな町があり、流通が盛んであるが、ここだけはゆっくりとした時間が流れているように感じる。平穏な静寂と遠くから聞こえるてくる鳥の鳴き声。

温かさを匂わせる青空からパタパタと忙しなく羽を動かし、私の肩に留まったのはセキセイインコだった。

また来たのかい。

「やあ、元気にしてたかい?あんたはここから動けないんだから、暇つぶしに来てやったぞ」

そう言葉を放つセキセイインコの横顔には笑みがこぼれている。

「数日間、この街を探検してきたんだ。飼われていた家の周りからその周辺の住宅や畑、走っている車の多さ、知らない人間同士の会話。何もかもが面白い!」

出てくる一つ一つの言葉に熱を帯びているのを感じる。まくし立てるような話し方は自然と耳を傾けてしまう。

「隣の家に忍び込んでみたら、赤毛の男の子が居たんだ。俺はみーちゃんからその赤髪の男の子の話を聞いていたんだ。からかって来たり、何かと意地悪をしてくるってね。だから俺はちょっとだけそいつに仕返しをしたんだ。みーちゃんの代わりにね。その子の額をちょっとだけ突っついてやったんだ」

くちばしを上機嫌に上下に動かし、武勇伝のように語る。みーちゃんのことになると熱くなるようだ。

「そしたら、そいつ泣き出しちまってよ。そんな強くしたつもりはないんだがな。泣き声を聞いた母親が扉から勢いよく入ってきて焦ったよ。だから、俺は逆に開いていた窓から飛び出したんだ」

その子の母親は相当怒っただろうに。捕まっていたらどうなっていたか……。

「俺の華麗な飛行で無事に逃げられたんだ。凄いだろ」

悪いことをしたとは思っていないらしい。反省の色はない。

「それから、みーちゃんの学校にも行って来たんだ。学校はいいぞ!あっちこっちでチヤホヤされる。人間の声真似をすれば誰もが俺の虜になる。まさにアイドルさ!」

腰をフリフリと陽気に振りながら踊る姿は、アイススケートの選手が氷の上でジャンプするように軽やかである。

「でも、みーちゃんには会えなかった。いや、逆に会わなくて良かったのかもしれないな」

陽気に話していた声色が少しだけ陰った気がした。

もう家には帰らないのかい?

「もうあの家には帰らないって決めたんだ。家出ってやつだな。みーちゃんには世話になった。こんな俺を可愛がってくれた感謝の気持ちもある。だが、許してくれ。俺はこの世界の素晴らしさを知ってしまった。もう俺を止められる者はいないのさ!」

熱意の中に彼の決意を感じた。

「世界っていうのは広いのな。見るもの全てが新鮮なんだ。鳥籠にいた頃の俺は井の中の蛙だったわけだ」

翼を広げて見てきたものの大きさを表現してくれるが上手く伝わらない。自分の翼の大きさに不満なのだろう、くちばしを使って羽を伸ばそうとしている。

「すまんな、俺にはその広さを伝えることが出来そうにない」

私はここから動けないから、君の話を聞くだけでとても楽しいんだよ。

「俺はもっと見てみたいんだ、この世界を。そして、触れてみたい」

セキセイインコには大きすぎるようなその夢は、体の大きさに反比例して肥大化しているようだ。

「今度は隣街まで行って来るつもりなんだ。気長に待っててくれよ。土産話楽しみにしてな」

飛び立つセキセイインコはいつもより大きく見えた。



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